2010/09/24
2010年度後期スタート
2008/10/23
あっという間に第4講終了
いつものことですが、前回更新してからすでに一ヶ月。その間に第1講〜第4講が終了しました。明日=10月24日の第5講で一週間が空くので(木野祭のため)、中間レポートのテーマを発表します。それで必要になるかもしれないということで、第1講から〜第4講で配布したプリントをアップしておきます。第2講ではプリントを配布しませんでした。右側のサイドバーのリンクからどうぞ。
肝心のレポート課題は、授業終了後アップする予定の第5講配布プリントに書いてあります。レポート出す人はよく読んでくださいね。
2008/09/26
2007/12/07
第7講終了
このところ激忙状態で、ついこの間授業したところなのにもう明日が授業!?、って感じです。
まずはお詫び。前回あたりから何人かの学生さんに「現時点での点数」のお尋ねを受けているのですが、ずっと出席、レポートの採点などの集計・転記ができていませんでした。ごめんなさい。明日の授業までには何とか間に合わせる予定です。
さて、先週(11/30)の第7講では、ミシェル・フーコーの話をしました。去年のこの授業では2回ぐらいかけてやった話を無理やり1回でやったので、だいぶまとまりが悪く、ちょっと尻切れトンボな話になってしまいました。大ざっぱなテーマとしては、フーコーにおける「知」の問題と「権力」の問題をかいつまんで、という感じの話でした。マグリットの《これはパイプではない》を見ながらの言語と映像の問題はもうちょっと突っこみたいところではありました。
時間が足りなかったこともあり、フーコーについての話は、この講義全体を通じて僕がしたいと考えている「言語」を中心に据えた大きな話のなかに上手く位置づけることができなかったきらいがありますが、明日(というか日が変わったのでもう今日か)はデリダ。これはまさに、前々々回ぐらいまでずっとやっていた構造主義の話を思い出しながら、どこがどう違うのかじっくり考えてみてほしいところです。
ではでは、お互いがんばって1限行ってみますか(笑)。
2007/11/24
ごぶさたでした
前回更新してから、早くも一ヶ月が経ってしまいました。その間、木野祭、推薦入試などで二回ほど授業がとんだのですが、そうはいっても、
・第4講 「記号学の誕生」(10/26)
・第5講 ロラン・バルトについて(11/16)
・第6講 ゼビウスの話(11/23)
と3回の授業をやりました。第4講、第5講ではプロップが再発見された話から始まって、物語論(ナラトロジー)や記号学の研究がさかんに行われたという話をしました。とくに第5講では、記号学的実践の一例として、バルトの『モードの体系』に注目し、この本の中でバルトがどのようにしてモードの分析を行ったか、バルトがモード雑誌の記述(バルトがいう「書かれた衣服」)を分析の対象とことに対する批判は妥当なものか、といったテーマについて話をしました。開講以来、この授業では構造主義関連の話をえんえんとしてきましたが、それもこの回で終わりです。
昨日の第6講では、休日だからということもあり、後半戦へのイントロダクションをかねて、担当河田が先日中国でしゃべってきた、80年代のビデオゲーム、ゼビウスの話をしました。「ゼビウス論」に入る前の、ゼビウスそれ自体の話がだいぶ長くなってしまったので、授業後半へのイントロダクションになったかどうかはちょっと微妙ですが、何人かの人からは、ゲームの話だから面白かったとのコメントをもらいました。前半戦は、テーマの設定上、わりと小難しい話が多かったですが、次回以降、映像資料もちょこちょこ使っていく予定なので、楽しみにしていて下さい。
さて、次回の予告。いろいろ迷ったのですが、次回はやっぱりフーコーの話をすることにしました。ベラスケスの《侍女たち》や、マグリットの《これはパイプではない》と題された一連の作品に対してフーコーが行った分析についても触れるつもりですので、お楽しみに。
2007/10/25
第3講終了+近況
更新がだいぶ遅れてしまいましたが、10/19の第3講の報告です。
第3講は前回から引き続いての、レヴィ=ストロースの話でした。カリエラ型の婚姻クラスとクラインの四元群の相同性の話から始めて、構造主義っていうけど、そもそも「構造」ってなんなの?、という話をしました。結論だけを一言でいってしまうと、あるルールに基づく「変換」によって得られるものはすべて構造的には同じで、それらをまとめて「変換群」というんだ、ということです。「変換」の例として三角形の形を変えないで大きさだけを変える(相似変換)などを例として挙げましたが、これはわかりにくかったという意見が何人かの人からあがりました(残念!)。変換、変換群という概念からは数学に根っこをもつものですが、授業でも配布したレヴィ=ストロース自身の著作のなかでも使われている用語です。押さえておいてほしいのは、ここでは、「ぴったり同じ」(同一性)といった厳密な概念にかえて、変換して同じになるもの(相似なもの)はとりあえずまとめて考えようという考え方が採用されているということです。これは、それまで学問的研究の対象であった唯一絶対の「真理」が、「構造」にとってかわられたこととならぶ、構造主義の思想的な意義だといえるでしょう。
次回(明日、10/26)の第4講では、構造主義が産みおとした学問分野ともいえる記号学(論)について話をします。
ついでみたいですが、近況報告。
前々回(10/12)の授業で告知していましたが、今年の春にようやく発刊になった『知のリテラシー』がらみで、C-307にてミニ・シンポジウムをやりました。出席カードに「行きます!」って書いてくれてた人も何人かいましたね。自分が書いた本の長所・短所というのは、その本と長くかかわっていただけに自分では案外気がつかないもので、いろんな人から貴重なコメントをもらうことができて、いい勉強になりました。とくにデザイン学部の佐藤守弘さんからは、いろいろ鋭いご指摘もあり(笑)、ほんと、勉強になりました。この本は、できたらシリーズ化したいねという話もあるので、今後またいろいろ新たな気持ちで考えてみたいと思っています。僕は全体の編集と「映画」という章を担当したので、映画の話をちょっとだけしました。写真はその一コマ。

もう一つ近況。10/20(土)から4日間、北京に行ってきました。目的は北京外国語大学(外大とは思えないぐらいでかい!)の中にある北京日本学研究センターというところで行われるシンポジウムに参加すること。僕が参加した分科会は、ポピュラー・カルチャーをテーマにした分科会だったのですが、僕は「ゼビウス」という80年代のアーケードゲームをネタにしゃべってきました。今回も上記『知のリテラシー』と同じく静岡産業大の葉口さんの紹介で参加させてもらうことになった仕事です。Jラップで発表した葉口さんを始め、日本のアイドル(タッキー)の香港での受容の研究や、日本の少女マンガの韓国での受容状況など、面白い発表ばかりで刺激を受けました。今回のシンポジウムの成果を出版しようという話ももりあがり、終わったあとも楽しみな学会でした。
それではまた明日の授業で!
2007/10/18
もう10月ですね
ちょっと時間が空いてしまいましたが、10月12日の授業では、いよいよレヴィ=ストロースについての本論に入ることができました。内容としては、
1) レヴィ=ストロース以前の人類学とはどのようなものだったのか?(伝播主義とは?、機能主義とは?)
2) モースの贈与論(モースにとって「交換」とはなんのためのもの?)
3) インセストタブーの謎(平行イトコと交叉イトコってどう違うの?)
4) 交換としての婚姻(交叉イトコ>平行イトコ、母方交叉イトコ>父方交叉イトコはなぜ?)
といったところでした。( )のなかの「?」に答えることができれば、12日の授業にかんしてはOKだと思います。実際に家系図のようなものを書いて説明したので時間もかかったけど、これをちゃんと確かめてもらうことは大事だと思っています。こんな人がこんな大発見をしたんだよ、ってな話では何のインパクトもないと思うので。
前回12日の授業では、レヴィ=ストロースの仕事を断片的に紹介しただけで、その「すごさ」についてはまだ触れることができていません。次回19日の授業では、さらに「婚姻クラス」というものを紹介したいと思っています。これで、レヴィ=ストロースにおいて「構造」とは何だったのか、そもそも「構造主義」ってどういう主義主張なの、というのをわかってもらえたらと思っています。
2007/09/30
金1現代思想、ようやく開講です
9/14は僕の都合で休講になってしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後はよほどのことがない限り休講にはしませんので、安心してがんばって1限来てください。
さて、9/21=イントロダクション、9/28=ソシュールの話、とすでに2回の授業が終わってしまいました。初回21日の授業では、半期をとおしての授業のおおよその展望、成績評価の方法などを説明したのち、現代哲学が抱える問題が言語の問題へと回収されていくという話をしました。授業のなかで紹介した「言語論的転回」という用語自体は、授業でも話したとおり、リチャード・ローティというアメリカの哲学者が編集した論集のタイトルとして広く知られるようになった単語ですが、この言葉が意味する「傾向」自体は、アメリカに限ってみられる傾向ではありません。ただ、それがどういう意味かを一言で要約するのは難しい、というか不可能なので、今後半期の授業をとおして、「言語論的転回」というのがいったい何なのかということをそれとなくわかってもらえたらそれで十分だと思っています。
2回目28日の授業のテーマは、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールでした。ソシュールについての一連の話のなかで、一番強調したかったのは、ソシュールが、
・言語記号は、言語以前に個別化された対象に付けられたレッテルである(言語名称目録説)ではなく、むしろ言語が世界を分節化しているのであり、その分節化の仕方は言語によっていろいろである
・言語記号とその対象との結びつきもまた恣意的なものにすぎない
・言語のシステムにおいて大切なのは、あるもの(たとえばある音素)がほかのものではない、ほかのものとは異なるという否定的属性であり、その意味において言語のシステムは差異の体系である
と考えたことでした。こういった話題について、「そう考えると言語って薄っぺらですね」というコメントをもらいました。それはある意味であたっていると思います。ただもうちょっと厳密にいえば、言語よりもむしろ、僕たちが常日ごろから確固たるものであると無意識的に信じている現実のほうが「薄っぺら」だというべきかもしれません。すごい大げさかつおおざっぱにいってしまうと、「まず現実があって言語はその現実を語るものである」というモデルがじつは怪しいもので、じつは言語こそが現実を現実たらしめているのではないか、という認識の転換こそが、20世紀の思想の特徴だといえるかもしれません。
さて、次週以降の授業では、いよいよ構造主義の話に入ります。まずはクロード・レヴィ=ストロースという人類学者の仕事の紹介から入りますが、次回10/5は、ソシュールの復習+前回のやり残しの話をして、レヴィ=ストロースの話をするための準備、ぐらいでたぶん時間切れかな? 前回配布したプリントでも紹介しましたが、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』なんかは、このあたりの話を理解する上ではとてもわかりやすい本だと思います。かくいう僕も、大学1回生のときにこの本を読んで、構造主義の勉強(?)をしました。その後、同じくプリントで紹介した内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』など、さらに新しい入門書が出ていますが、『はじめての構造主義』は今読み直してもわかりやすさという点では新しいものにもぜんぜん引けをとらないと思います。情報館にもあるようなので、時間があればぜひ読んでみてください。
このブログですが、来週以降、できたらこんな感じで授業後の週末に更新していきたいと思います。僕も10月はとくに、論文の締切やら海外出張やらいろいろ立て込んでいるので(でも残念ながら休講はなしの予定です)、どこまでマメに更新できるかわかりませんが、またヒマなときにでものぞいてみてくださいね。コメント、質問なども歓迎です。
追記:過去の講義プリントをWebからダウンロードできるようにしました。右→のサイドバーからどうぞ。とくに成績評価の方法などが知りたい人は初回(9/21)のプリントを参照してください。
2007/04/27
『知のリテラシー 文化』発売!
今日は宣伝です(笑)。今回、北大路にあるナカニシヤ出版というところから、こんな本を出しました。「現代文化論」みたいな感じの講義のテキストとして使ってもらえるように、という意図で企画した本なのですが、一冊の本としても読んでもらえるように作っています。編者は人文学部のサコさんと、去年の3月まで非常勤で精華にいた葉口さん(専門はポピュラー音楽)、それと僕、河田の三人。執筆陣にも、マンガ学部の吉村さん、芸術学部で非常勤で「メディア論」を教えている松本君、人文学部のTAをやっている福田君など、精華関係者がいっぱいです。どんな感じの本かというと、第1章の「マンガ」から第10章の「スポーツ」まで、10のテーマについて、よく考えてみると、これって結構不思議な話だよね、というところから話を初めて、そのテーマを読み解いていこうという趣旨の本。何のどこが不思議なのか、ってところから話を始めているので、**学ってやたらたくさんあるけど、そんないろいろ何でも研究しなきゃ行けないわけ!?、などと日頃疑問に思っている人にお勧めです。ちなみに僕は第3章の「映画」を書いてるほか、第9章の「食文化」にもちょこっと顔を出しています。今なら画箋堂さんに平積みにしてもらっているはずなので、ぜひ手にとって見てみてください。ナカニシヤさんのオンラインショップからも買ってもらえます。読んだら感想など、このブログで聞かせてくださいね。